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不妊症と肩こり、腰痛って関係あり・・・?

2011年2月21日

二人目を望まれている31歳 Dさんのお話  

・・・と今回もご主人の精子の状態が15%で、
精子をトリートメントしても運動率が40%。
前進性が2 → 3 になったものの、ベストの状態とは言えず、
あきらめモードでとりあえずの人工授精。
生理が来ないと思ったら、市販の検査薬で陽正反応。
本人も「え゛~っっっ」・・・と思ったようでした。

早速電話をいただき、「陽性反応出ました。今でも信じられない~」
「だって6年も妊娠しなかったのに・・・」でした。

良くある話ですよね。
Dさん、2か月くらい治療してからのAIH (人工授精)でした。
彼女いわく、鍼に来るようになって、体調の変化がありました。

① まず体が冷えにくくなったということ。
② つらい肩こりがスッキリしたということ。
肩こり腰痛は不妊症のもと。とても関係があると僕は思っています。
「え゛~っ」・・・肩こり腰痛が不妊症と何の関係があるの・・・?
と、思われている方も多いと思います。
とっても関係ありですよ。

それは・・・

to be continue

Omura

もう小学三年生になりました その4 (胞寒)

2011年2月18日

前回はN さんのトラウマの話を書きましたね。
そこで、「胞寒」(ほうかん)とは・・・から話を進めましょう。

東洋医学では子宮のことを、「胞宮」(ほうきゅう)とか
「女子胞」(じょしほう)といいます。
胞寒は字のごとく、子宮の中が冷えてしまって妊娠しにくい
状態になっているということです。
人間には体を温める「命門の火」というのがあって、命の火があるから、
体が温かくなると、東洋医学では言います。
「命の火」の「門」が寒さで閉ざされると、体は冷え低体温質になります。

冷たいものの食べ過ぎ、若いころから薄着をしていたり、
不摂生な生活で睡眠不足などが続いたりして、全身の血行不全で
冷え性体質になって、特に子宮の中が
温まりにくくなった状態のことが胞寒です。

また、風邪をひいたりしたときに、
風の邪の寒さが子宮に停滞してしまっても、
胞寒の状態になります。

風邪(かぜ)と書いて風邪(ふうじゃ)ともいいます。
「風」の「邪」なのです。

風邪の邪が頭に留まれば頭痛。
咽喉や鼻に来れば、咽喉痛、鼻水、鼻づまり。
胃に来れば、胃腸炎。
腸に来れば下痢。
関節に来れば関節痛。

・・・というふうに、いったん咽喉痛や鼻水が治っても、
「邪」が「風」のように、
体中をうろうろするわけです。
体が弱っていると、鼻水、下痢、胃痛が一度に出て熱が出て、
関節痛になったりします。

N さんの症状はこの「胞寒」で、生理が止まっていたのだと思います。
鍼とお灸を使って、体を温める治療をして3ヶ月して、N さんは自然に
生理が来るようになり、その3ヶ月後、自然妊娠され、
今は二人の小学生のママです。

いつも患者さんに言っていますが、
普段からの規則正しい生活って、やっぱり大切ですね。
いろいろ規則を作ってしまって、がんじがらめにするよりは、
ちょっといい加減なくらいの、ゆるゆるな自分なりの、
できることから始めてはいかがでしょう。
ちなみに、僕の健康法は、ご飯と具だくさん味噌汁。
朝は必ず、温かい味噌汁かスープをいただきます。
そして、クロレラ・・・。このクロレラはまたご紹介したいと思います。

Omura

年代物の海水パンツの男はタヒチ人・・・?

2011年2月14日

もう小学三年生になりました・・・も「その3」まで行き、
「その4」にかかろうと思ってブログをチェックしてみると・・・。
またまた笑わせてくれました。

前々回の「私タヒチに住んでました・・・番外編 1」で
小さな桟橋できりっとした若い青年は、「現地の人・・?」
そう、タヒチ人と思いきや、田内先生ではありませんか。
若いころはみんな細いですね~。
それにしても、年代物の海水パンツ。歴史を感じました。
ちょっとカッコつけているのも、歴史を感じますね~。

僕も若い頃はスリム体系で、海水浴で撮った写真がありますが、
デジカメじゃないので、アップできません。
中学生のころはちょっと水泳やっていたので、皆さんにお見せできないのが
残~念。(とっても言いわけ・・・)

今はアグー豚のようになってしまったので、若い頃が懐かしいです。
今年の年末にはマイナス5キロのウェイトダウンに成功したいものです。

患者さんにも良くちょっとダイエットを勧めています。
(痩せている人は必要ありませんが・・・)

痩せる・・・というより、代謝アップしましょうということです。
東洋医学の教えでも、「太っていると妊娠しにくい・・・」と言われています。
脂っこい物や甘いスウィーツの食べすぎは、やっぱり良くないですね。
食べてもいいけど、ほどほどにしましょう。
伊達友美さんの食べ合わせダイエット本やタニタの社員食堂の本なんかは、
お勧めですよ。

伊達友美さんの本を勧めて、5か月できれいに4キロ痩せた患者さんがいます。
40歳を過ぎて一年間、採卵しても胚盤胞まで行かなかったのに、

ちょっとダイエットに成功しだすと、採卵した卵胞はちゃんと胚盤胞までになり、
凍結するとができたのです。
ちょっとダイエットは、以外に大きな成果を生みますね。
なかなか痩せられない人は、え~い!!! 鍼灸で強制ダイエットしています。
今、10人くらいやっているかな。

鍼でダイエット・・・?そんなのあるの・・・と思うでしょうが、
結構、効果ありますよ。

鍼灸のダイエットはまた今度、詳しく書きたいと思います。

Omura

私、タヒチに住んでました(番外編2)

前回(番外編1)元仲間6人の声を聞くことができたのは、
本当に嬉しい偶然でした。
しかし、それ以外にもまだ消息を知らない元仲間の事を考えていると、
つい2週間程前に二つ目の不思議な出来事がありました。
それは、突然のメールがきっかけだったのでした。

その内容は、災害編 の子供の写真を見て、
「あれは○○○○島の小学校でしょう!私も住んでいました」
というコメントでした。投稿した私も忘れていた事をズバリと指摘して頂きました。
そう、メールの人もその島にいた同業の日本人(真珠の職人さん)だったのでした。
(滞在時期がずれていたので面識はありません)
当時、タヒチ全域で働いている同業種の日本人は恐らく100人以下だったはず。
その中で、同じ島で働いていた日本人からメールが届くなんて書いた私がビックリでした。
しかも、タヒチと無関係な不妊鍼灸院の暇つぶしブログを見つけて連絡して下さるなんて、
まさに奇跡のような話ですよね。
その後、メールで何度かやり取りさせて頂いてさらに驚いたのは、
私の元仲間の消息もよくご存知で、ライバルM君始め、 番外編1 の時に
声を聞けなかった人達の消息を知る事ができたのでした。

再び、願いは通じるんですね~。

そして、元仲間の消息は・・・
タヒチに残って違う職についている者、
日本で家業を引継いでいる者、
そして、私の同期でありライバルでもあったM君は・・・
○○○○○島で今もタヒチアンの奥さんと幸せに暮しているとの事でした。
良かった、本当に良かった。
M君、もし、大村院長とタヒチ行脚できる日が来たら、挨拶しにいきますね。

田内

前回の写真はタヒチに染まる前、今回はタヒチにどっぷり染まった後。
この頃は、「郷に入れば郷に従え」を実践していた。
船の舳先でヤシの葉帽子と弾けないウクレレを持ってポーズ。

私、タヒチに住んでました(番外編1)

2011年2月11日

このタヒチブログを初めてご覧になる方は、ビックリされると思います。
不妊治療と全く関係の無いブログを何故書き綴っているのか?
理解に苦しむ方もおられると思います。
実は、患者さんの息抜きに読み飛ばして頂きたいとの願いからであります。
といいますのも、患者さんのお話を伺っていると、
治療自体の苦痛、周りの理解不足、通院することの精神的疲労etc…
毎日、治療中心の生活で、心身共に疲労されているように思います。
こんな時は、気が停滞するつまり「気滞」になりやすいんですね。

そこで、通院の待ち時間に、イライラしたり気が落ち込んだときに、
一日の終わりに、この暇つぶしブログを読んで、
「馬鹿だね~」って思ってもらえたり、
「クスッ」と笑って気を抜いてもらえたら嬉しいです。
一瞬でも、治療から少し心を開放する時間を作って頂きたいのです。
これ、12月に大村院長が紹介した「気滞」の解消法になります。

タヒチブログの反応は、今のところ好意的なご意見が多いのかな?
と思っております。(私の勘違いかもしれませんが)
患者のNさんは、このブログを書くきっかけを与えてくださいました。
患者のYさんは、新婚旅行でタヒチに行ったそうです。
患者のKさんは、一日の終わりに、読んでくださっているそうです。
その心優しいKさんは、『あの豚はもう食べられたのかしら?』と心配されてました。
そして、『中身は残飯でも、鍋は高級だね』と、鋭い指摘も頂きました。
(私は知りませんでしたが、フランス製の重たい鍋だったそうです)
その他、『今一番タヒチ旅行に興味があるのよ』と言ってくださったり、
私が皆さんを励ます立場なのに、逆に励まして頂いて恐縮です。

大村院長のブログは役に立つ話
田内のタヒチネタは、不妊治療には全く役立ちませんが、息抜きブログ

ですので、皆さんのご理解をよろしくお願いいたします。

さて、タヒチブログを書き出してから、面白い事が2つありました。
1つ目は、1月中旬頃でした。
過去の記憶を思い出しながら、昔の仲間はみんなどうしてるかな~って
想像しながらブログを更新していると、1本の電話が・・・
それは、私の元上司Y氏の奥さんからの実に数年ぶりの着信でした。
てっきり、「変なブログ書きやがって」という怒りの電話かとおもいきや、
『皆で田内の噂をしていたところなのよ~』と拍子の抜けする展開に・・・
そう、ブログを読んだのではなく、偶然の電話でした。
聞けば、元仲間が6人も東京のYさん宅で新年会の最中だというではありませんか?
それで、田内の噂になってわざわざ声を聞かせようと電話をかけて頂いたのでした。
一人ずつ声を聞かせてもらって、すごく嬉しかったのでした。
しかし同時に、『なんで私も呼んでくれへんの?』と、
幹事役の後輩S君に詰め寄ると、
『急な集まりになったので、遠方の方には連絡しませんでした』との弁。
来年は、前もって連絡しますと約束してくれました。
ありがとうS君。
そして、電話を切った直後、これまた偶然が重なるように、
サイクロンで失ったはずの写真がポロリと見つかったのでした。

願いは通じる・・・と思った瞬間でした。

そしてもう一つは・・・
長くなるので次回にします。

田内

偶然出てきた初年度(1990)に住んでいた住居の前での写真。
タヒチに染まる前のギラギラした私でした。
その後のサイクロン(1993)で土台だけを残し、跡形も無くなった。

もう小学三年生になりました その3 トラウマ

彼女のトラウマとは・・・点滴だったのです。
以前、病院で点滴をしてから左腕が上がらなくなった経験があったのです。
点滴の針は結構太いので、きっと神経を傷つけてしまったのでしょう。
それ以来、点滴の針にとても恐怖心を抱くようになっていたようなんです。

そこで、「僕の使っている鍼はね、0.16ミリだから随分と細いから・・・」と
言ったところで、0.16ミリがどれくらい細いか、ピンときませんよね。
丁度、髪の毛のような感じで、結構しなやかに曲がります。

さて、何とか第1回目の治療終了。「どうですか?」
「何か、体の芯から温まるような感じがします」と言ってくれました。
実は、スポーツクラブでエアロビやって、そのあとでお風呂に入っても
いつも体が温まった感じがなく、お風呂に入っている最中も
体全体が寒い感じがずっとしていたんです・・・とNさんは言ってました。

岩盤浴に行っても、体が心から温まったという感じを受けたことがなかったようです。

ところが、鍼の1回目から少しではありますが、
芯から温まっているという感じがしたようです。
これなら、3か月~6か月くらいで月経が戻るのではないかと予感しました。

病院では月経が止まってしまっているので、
お薬で月経を起こさせるようにしている状態で、
自然に3年ほど月経は来てなかったのです。

彼女の症状は、東洋医学でいう「胞寒」(ほうかん)という症状なのでした。

胞寒とは・・・

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Omura

もう小学三年生になりました その2

2011年2月7日

前回、N さんの治療が大変だったと書いたと思います。
・・・というのも、初診のときのこと。
当時、N さんは27歳くらいだったと思います。
結婚3年たってもなかなか赤ちゃんに恵まれないということで、
患者さんの紹介で来られました。

彼女の問題は、生理が10代の頃から不順だったようですが、
不定期に2~3ヶ月くらいに一度は来ていたようです。
23~24歳のころから、ピタッ!!と生理が止まってしまったのです。
たぶん、結婚生活を始めてくらいの頃からだと思います。
いろいろストレスがかかっていたのではないかと思われます。

初診の日、ベッドに寝ていただいてお話を聞いて、
では鍼をしてみましょう・・・と言ったら、「ちょっと待ってください」
手にいっぱい汗をかいて、「やっぱりやめます!!!」
あれっれれれのれ~・・・と思ったのですが、
「では、鍼治療はやめましょう」と言いました。

無理に治療しても効果も上がらないし、患者さんの意思を尊重したかったので。
そうしたら、N さん、何を思ったか・・・「やっぱり、鍼してください!!!」と言いだし、
「そんなに無理しなくてもいいですよ。」といったのですが、
目をひきつらせながら、「大丈夫です」というので、

「では、ちょっと休憩してからはじめましょう」と言って
10分ほどベッドで寝ていただきました。
「N さん、そろそろ治療させてもらっていいですか~」
「はい、どうぞ」と言われたので、
三陰交に鍼をしました。
「あれ、ぜ~んぜん大丈夫です」と安心されて、
足三里にも鍼をしました。これも大丈夫。

「大丈夫なようですね」「はい、いけそいです」。
そして腕にところに鍼をしようと思い、
「では、次は腕の所に鍼をしますね」と言った瞬間、
N さんは無意識のうちにパン!!   と僕の手をはね退けたのです。
「先生、ごめんなさい「どうしたの、大丈夫?」
まだ何もしてなかったのですが、
よくよく話を聞いてみると、彼女なりのトラウマがあったのです・・・

それは、・・・・

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Omura

もう小学三年生になりました

2011年2月4日

去年の7月の話になりますが、
この鍼灸院をオープンするにあたって求人誌に受付の募集をしたところ、
何と2日間で30人くらいの応募がありました。
N さんから電話をもらったのは、もう募集が終わってのことでした。

「すみません。もう受付の募集が終わってしまいまして・・・
またの機会があればよろしくお願いします」・・・
と丁寧にお断りした時のこと。

「あの~、もしかして大阪で鍼灸接骨院をされていた大村先生ですか?」
「そうですが・・・」
「あの時お世話になった、N です」
「あ~ぁ、N さん!! よく覚えていますよ」
「今どうしているの・・・」
「二人の息子に恵まれて、子育て真っ最中です」とのこと。

N さんは僕か大阪で不妊治療を専門に始めたころの患者さんです。
当時は鍼灸整骨院をやっていました。7年ほどやって、
上海に留学したんですけどね。それから、サンフランシスコへ。
この話は、また折を見てご紹介したいと思います。

へぇ~、息子さんもう小学三年生になるんだ。
あの頃は、鍼灸で不妊治療するところが少なかったということで、
関西一沿からたくさんの患者さんが、わざわざ来て下さったことを思い出します。
僕もまだまだ今のように患者さんの状態を診て、すぐにどんなツボを使って、
どんな手技で治療しようか手探り状態だったように思います。
今は、患者さんの状態を診て、ん~っ・・・ちょっと考えて、
「整いました!!」 という感じで、治療できるようになりましたけどね。
ですが、まだまだ勉強中です。

さて、N さんを治療するのが、これがまた大変だったんです。

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Omura

鍼灸と推拿整体 1

2011年2月2日

当院では、鍼灸治療と並行して推拿整体も一緒にご案内しております。

どちらも、血流改善、体質改善効果があります。
特に、子宮・卵巣の血流改善を行うことによって、様々な効果があったとの報告を受けています。

1.卵巣機能を高め、卵胞が出やすなる。卵胞の数が増える。胚盤胞(5日培養)に残る確率が上がる。

2.子宮機能を高め、内膜を厚くして着床しやすくなる。

3.生理周期が正常に近づき、生理痛が軽減する。また、月経前症候群の症状が緩和する。

4.体質改善によって、喘息、アトピー、腰痛、肩こり等の症状も合わせて改善していく。

ただし、生理周期によって鍼灸優先、推拿整体優先と替わっていくので、
患者さんの生理周期によっては、まず推拿整体から勧めさせて頂く事もあります
また、男性不妊に対しても鍼灸と推拿整体を組み合わせる事によって、治療効果が上がっています
詳細を知りたい方、興味のある方は、当院ホームページの左側にある「お問い合わせフォーム」から
ご相談下さい。

後日、院長から返信させて頂きます。

という決まりきった業務連絡はさておき、じゃあ実際にどんなケースがあったのか?

を次回お話しますね。

田内

私、タヒチに住んでました 7(災害編)

2011年1月30日

『ドン!ドン!ドン! 危ないぞ、早く逃げろ』

叩き起こされたのは確か1993年3月某日深夜1時頃だったでしょうか?
強風、荒波、ただならぬ気配でした。
前日に用意していた枕元の懐中電灯とパスポート等最小限の貴重品を握り締め、
まず、離れのキッチンを見に行くと、既に窓は壊れ床上浸水状態に。
慌てて、50m程の桟橋を歩いて陸まで逃げ出しました。
陸では、砂浜が舞い上がって砂嵐となり、まともに目が開けられない状態でした。

「サイクロン」がタヒチを直撃したのでした。

それから数日間、みんなで一番安全そうな場所を探しての避難生活が始まりました。
(海抜数mの島に安全な場所なんて存在しないですけどね)
とりあえず、陸に住んでいたタヒチアンの家に一時避難。
益々強風になり、不安ではありましたが、交代で仮眠をとるためウトウトしていると、
『バリバリバリ』『キャー!』『ドーン』
立て続けにものすごい音と悲鳴が・・・
なんと、リビングの壁が30°に傾き、トタン屋根が吹き飛んでいました
砂浜の砂が風にあおられて家の外壁に堆積し、
壁を押し倒した瞬間、風圧で屋根が持ち上げられたのでした。
家具が支えになって、30°で止まってくれましたが、
もし壁全体が倒れていたら、打ち所が悪いと死んでいたかも。

幸いにも怪我人はなかったので、全員で集合し、
また次の避難場所を探しに強風の中、外に出るはめに。
先程よりはまだ頑丈そうな家に避難させてもらい、当然、眠れない夜になりました。
翌朝、風が徐々に弱まったので、気になっていた自宅を見に行くと、既に倒壊寸前に・・・
「やっぱり避難して良かった」と思った瞬間、
高潮の力で土台だけを残し家がまるごとプカプカ浮き上がったのでした。
改めて、大自然のすごさを目の当たりにしました。
そして、1時間かけて砂浜の海岸まで打ち上がっては戻りながら崩壊して行きました。

昼頃になると、風はかなり収まりこれで生き延びれると安堵しました。
そして、家が倒壊した辺りの砂浜を見てみると日本食の備品が散在していました。
ほとんどは、使い物にならなかったのですが、その中に永谷園のお茶づけを発見!!
当然ヨレヨレになっており、これもダメかと思いつつ一個開封すると・・・
なんと半日以上波に揉まれながらも中身は大丈夫だったんですよ。
さすが、メイドインジャパン、感動しました。

後に話を聞くと、普段来ないサイクロンが、10年に1回、
異常気象(エルニーニョ現象)の影響で進路をかえるため、直撃するらしいのです。
不運にもそれに遭遇してしまったのでした。
前夜、地元ラジオから情報を得ていたので、避難準備はしていましたが、
さて、どこに逃げるの?という環境なので、
(昔はヤシの木に子供をくくりつけて難を逃れたという逸話があるそうです)
「状況を見て判断しよう」となり、部屋で寝ていたらこんな目に・・・
以来、海上生活には終止符を打ち、陸上での生活に変わりました。
(まだ早死にしたくなかったので)
この時、巨大マンタの写真も海へと消えていきました。
大自然は真珠という恩恵も与えてくれるし、逆に、試練も与えてくれるのですね。
施設は壊れましたが、幸いにも真珠貝に被害は少なく、
1ヵ月後、奇跡的に仕事再開を果たしました。

田内

写真1:昔住んでいた海上生活はこんな感じ。

写真2:避難先の住居はこんな感じ。外壁はベニヤ、屋根はトタン。

写真3、4:災害後でも、常に明るい村の子供達。